あなたにとって「教える」ということはどういうことでしょうか?
多くの場合は学校の先生や塾の先生をイメージするのではないでしょうか?
私は講師として仕事をはじめた時に教えるとは「完璧」でなければならないと思っていました。
わかりやすい講義、質問に100%こたえられる自分
実際にそうやって講師としてのキャリアを積み重ねていきました。
初心者や中級者に「正解のある学び」を教える場合、それでよかったと今でも思います。
しかし、コニュニケーションやプレゼンテーション、セルフマネジメントといった
「正解のない学び」を教える場合、この在り方に疑問を持つようになりました。
「完璧」とは正解を前提とする考え方です。
あなたも手帳の達人を見てそれを真似して挫折したことはありませんか?
私は手帳で何回も挫折してきました。
なぜなら、自分に完璧にあうものを見つけるのは至難の業だからです。
正解がないのに完璧になることを目指すと必ずカバー出来ない部分が生じます。
私はある時、藤原和博さんの「たった一度の人生を変える勉強をしよう」という本を読みました。
その中に、「正解ではなく納得解を求める」という言葉があり、衝撃を受けました。
自分が納得し、周りが納得する答え、それが納得解です。
決して「正解のある学び」が悪くて「正解のない学び」が良いというわけではありません。
「正解のある学び」に足して「正解のない学び」が必要だったということです。
「正解のない学び」のために私は「場づくり」に重点を置くようになりました。
まず、やらされるより、やりたいと思わなければ納得にはたどり着けないからです。
今の私にとって教えるとは「どう気づかせるか?」これがテーマです
気づいたら一緒に納得解まで歩きます。
先導者から伴走者に変わったのです。
やる気が出るから頑張るのではありません。頑張ったらなんとなくやる気が出てくるのです。
あなたの納得解まで一緒に歩きたいと思います。